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2010年5月16日日曜日

土壁との格闘

NPO法人 町なみ屋なみ研究所

5/15篠山市で古民家再生作業に参加。
連続行事でへろへろなので
本日は火バサミでも持って庭のゴミ拾いでもして
ラクしましょ・・・・
と思いつつ行ったら
つい、なぜか左官仕事をすることに・・・・なぜ?

土壁塗りはやっては見たかったのですが
高度すぎ。難しすぎ。
かつ人気が高い作業なので人数が多いと希望者殺到。
なので遠慮もあってしていなかったんですねえ・・・・
本日、人数少なめであまり目立たない処の
中塗りをさせてもらえるとのことで参戦決意。
・・・・・やり始めて激しく後悔・・・・

土ですよ?それを鏝で垂直の壁に塗るんですよ?
ありえませんがな・・・・鏝持ったの初めてだし・・・

私の担当の壁は下地がコンパネ。
表面に薄く接着剤を塗りそこに土を載せていきます・・・
接着剤を介在させているとは言え
板の表面に土を塗るなんて・・・???
でも、素人は下がまっ平らな板のほうがまだ塗れるそうです。
そうだよなあ・・・本来、竹とかで編んだ凸凹の上に塗るんですよね。
・・・・
土と格闘。
「塗る」とは言いますが「塗る」より「押し込める」と言う感じでしょうか。
とにかく土が板に吸い付いて留まってくれるように
全身の力で面に押し込めます。
手先だけでいじると文字通り「こてさき」仕事になって
土が崩壊していきます。


明るい処の壁は
本日、初参加のとび職さんの作品。
私の担当は
床の間の側壁2面。
良かった・・・暗い目立たない処をいじっていて・・・

「ま・・・中塗りだし・・・土がはがれん程度に出来ていたら
あとは上塗りでなんとかしてくれるだろう・・・・」
と考えていたが甘い!
凹凸の無い綺麗な中塗りがなされていないと
上に響きます!
午後から左官職人さんに
びしばし修正して頂きました。

ボードをポン、と立てるのが
いかに楽か痛感。
土壁はその面全体が生き物のような存在で
厚く塗ればだれる
一箇所を押すと意外な処が出る・・・
扱えません・・・


表ではセミプロさま方の
細かくも清清しい作業がなされていました。
何度も書きますが
「目立たない処の壁で良かった・・・(大汗)」

土壁に興味を持ち
職人を志す若い世代も出てきているそうです。
でも、石から土を作る工場が
採算性の面から
次々廃業してしまい
技術を伝えたくとも
まず材料が無い、という
厳しい事態になっているそうです。

初参加のとび職さんに少し話を聞きました。
彼は高層マンションの建築現場で
延々と働いていて
「パネルを組み合わせるだけ」
みたいな作業の連続に
疲れ果てた結果
「土」に興味を持った様です。
気持ちは分かるような気がしました。

慣れない・・・と言うか
人生でありえない作業で
全身のダメージ大。
楽する構想はどうしたんだ、私・・・・



2010年5月1日土曜日

古民家再生プロジェクト

NPO法人 町なみ屋なみ研究所


篠山市の古民家再生プロジェクトが
色々な広がりを見せながら発展中。
1/16以来、サボっていましたが久々に訪ねてみました。

日々多忙でへろへろの私。
事前連絡で「障子・ふすまの張替えと柿渋塗り」が
作業内容に上がっていたので
「・・・・これならばできるかな・・・」と思いつつ行きましたが
なかなか内容の濃ゆい一日となりました。

縁側に面した建具が
きっちりとあわさる様に調整して
鍵を付ける作業です。
建具のプロさんが
鉋で調整。
我々は建具を支えているだけで精一杯です・・・
「勘と経験」
そんな言葉しか出ませんね・・・
ちょいちょいと鉛筆で印をいれて
次々と鉋をかけると
がたがただった四枚の建具が
しかるべき位置に収まります・・・・


その建具の枠にガラスをはめるためには
これまた微妙な調整をしつつガラスを切らなくてはなりません。
ガラスカッターの使い方や
ガラスの性質について指導を受けます。


裏手ではプロの左官集団が
見事な土壁を塗り上げていました。
塗りたての状態では
近くでほこりを立てたり
煙を当てたりするのはご法度です。
何も知らないもので
あれこれそそうをしてしまいました・・・

夜、残留して
NPO法人の運営会に立ち合わせていただきました。
経済的・人脈的な内容が聞けて
いろいろ勉強になりました。


2010年3月14日日曜日

香川県フェリーの旅

宇高連絡線廃止撤回

結局は現状ほぼ維持で廃止撤回となりました・・・
生活の足でもありこれがなくなるのはあり得ない。
なんとか維持できたのは良かったのですが
1ヶ月は各方面で混乱が起きていた様子。

我々は旅行者なので気楽なモンですが
「ブルトレ並みに絶滅危惧種だ!!ラストランに乗れぇぇぇ!!」
とあわてて計画を組んだのでかなり肩透かしを食らいました。
まぁ、とにかく計画通りに行ってしまえ、と香川に旅立ちます。

3月13日 12:55 加藤汽船ジャンボフェリー 三宮→高松
           こんぴら2号
       5:20  高松フェリー港到着 バスで高松駅前へ
       5:40  高松港発宇野行き 四国フェリー乗船
       6:30  宇野着
       7:25 宇野発直島・本村行き 高速艇 乗船
       7:40 本村着


何をしているかというと
瀬戸内海の
ごく限られた範囲を
フェリーでぐるぐる回遊
しているわけです。
意味なしとも言い
贅沢な時間とも言い
←直島のねこ
 直島は町並み保存や
アートに力を入れています。


                 
   8:26  発コミニュテイバスで本村から宮浦へ移動
   8:38  宮浦港着
      宇野からはフェリーで宮浦に入る事も出来ます
   9:09  再び高松へ 
                直島・宮浦から高松へのフェリー →  
   10:03  高松港着

高松で時間調整。
うどん屋さん「義経」でおうどん、おいなりさんを頂きます。
味がまとまっていてとてもおいしい。かつ安い。

      

雨がかなり強まってきたので
折りたたみ傘を捜して
商店街を歩いていたら
そこここにこんな→
オブジェ?アート?が
・・・テーマは「盆栽」らしいです
・・・・・・・・・・・・



 
さて、高松駅前から庵治行き73系統の路線バスで
「イサム・ノグチ美術館」(要予約)に向かいます。
13時の予約に接続するのは
12:15高松駅前発だと教えてもらったのですが
バス停を降りてから徒歩約10分はかかるし
道が少し分かりにくい。
余裕を持って着きたいところですが
その前のバスが11:15発・・・
公共交通機関利用は苦労します・・・

「イサム・ノグチ美術館」約1時間見学。
庭や建物自体もアートとして構成されています。

美術館の周りには源平古戦場の史跡が点在しています。

15:00 琴電 八栗駅発 瓦町を経由して高松築港へ
        そしてJRで丸亀へ
        この日は丸亀城近くのビジネスホテルに宿泊。
        駅前の居酒屋「三太郎」に行ったところ
        おいしいものがいっぱいありました!!
        魚介類も鳥もお酒もなんでもおいしい・・・

                    3月14日   
                    朝、丸亀城を目指して
                    歩き出すと
                    途中で朝市を発見!!
野菜・てんぷら・お寿司など
地場の
旨いモンが目白押しです。
←







続いて丸亀城に向かいます。
石垣が見事!!                   →


10:12 JR丸亀→多度津へ移動 
    琴平行きに乗り換えて「金蔵寺」駅へ
   釜揚げうどんで有名な
   「長田in香の香」へ向かいます。
   しかして道が分からずうろうろっ、とします。
   ここから行くのかな?と思って路地に入りかけると
   お婆ぁが無言で「あっちだ!」とジェスチャー。
   その通りに行ってみると
   「金倉寺」に来てしまいました・・・
   せっかくだから参拝。
   後から確かめると初めに入りかけた路地が
   「長田in香の香」へ至る道で正解だったのです。
   ・・・多分、お婆ぁ的には
   「うどん食いに来るのはいいけれども
   その前にお寺さんにお参りくらいしていきな!!」
   と言う感じなのでしょうね・・・「長田in香の香」は
   超有名店なのでお婆ぁはいつも
   うどん屋への道を尋ねられて
   ちょっと苦々しく思っていたのでは・・・

お寺にも参って
おいしい釜揚げうどんを頂きます。
釜揚げうどん専門店、と言うスタンスもすごい。
しかして食べれば納得。
出汁の濃厚さと麺のやさしさのバランスが絶妙です。
冷たい麺にしょうゆだけかけるスタイルもいいのですが
「釜揚げって・・・いいかも・・・」と
しみじみ思わせてくれます。

11:23 金蔵寺(寺の名前は「金倉寺」駅名・地名と字が違っている)発
 多度津、丸亀を経て高松へ

15:00 フェリー港行きバス発
15:30 高松発三宮行 加藤汽船ジャンボフェリー 
りつりん2号
19:40 三宮着

フェリーとアートとうどんと城と・・・
欲張り三昧のゆっくり船の旅でした。
厳しい情勢ですが
船舶業界には頑張って欲しい処です。
どこへ行くにも飛行機だ新幹線だでは
せわしすぎますから・・・・
    
    







2010年2月13日土曜日

宇高航路廃止!!

100年の歴史に幕

ブルトレ同様、フェリーも絶滅危惧種なのは分かりきったことですが
遂に・・・・

今更あわてて利用を考えるのもナンなのですが
乗りたいと思いつつ機会を逃していた路線なので
スケジュール調整に入ります。

合理化には勝てないよなぁ・・・・溜息。

2010年1月24日日曜日

東京回遊

野暮用があり品川へ。
家人が同行するが彼の人は静岡・駿府探訪。
品川駅前はどえらい進展振りですね・・・マンハッタンスタイルか・・・
私め、かような処は全然似合いませんで
野暮用をすませながら各地の調味料漁りを。
地方は体力が無く、また、はっきり言ってそこが田舎くさい考えで
地場の素材、調味料を販売しない出来ない。
東京にはなんでも集まるんですね・・・・

さて、野暮用を済ませて家人と合流。東京回遊に出発!

より大きな地図で 東京回遊マップ を表示


夜は六本木。
おおっと、テーストが違うのでは!!!
ご安心をば。
大阪から移転したすんばらしい店が六本木にあるのです。
「さかなのさけ」
旅行好きなご夫婦が切り盛りするこの店には
各地からの素材が集まり、その人柄、雰囲気に魅かれた人も集まります。
「ここが東京・六本木だと思っていると偏っているよ!!!」
・・・いいんです・・・偏りたいんです・・・・
とにかくちょっとはしゃぎすぎました・・・・







乃木坂から根津に移動。
森鴎外が「舞姫」を執筆した別邸があるホテルに宿泊です。
http://www.ogaiso.jp/
中庭に日本家屋が保存されているのはすごい事だと思います。
ここでお食事会や演奏会も設けられるそうです。
ただ・・・全体のインテリア・センスが・・・・はっきり言って残念!
・・・・「都内唯一の天然温泉」と謳っていますが
本当に「唯一」なんですか?他にもありそうだと思うのですが・・・
お湯は冷泉を沸かしたもので泉質に不服はございませんでした。


上野周辺は危険です。
かえるやらネコのショップが満載・・・
開店前だったのでなんとかスルーしましたが
何を思ったか国立博物館に突入!
「THE POWER OF DOGU」土偶展です!!!
仏教伝来どころか天孫降臨の遥か以前の文明・芸術に濃厚に触れます。
くらくらです・・・・
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?event_id=6908&pageId=A01&processId=02
一応、記事を貼り付けましたが↑ もちろん迫力不足。
会期は2月末まで。ぜひじかにごらんあれ。

土偶でかなりへばった我々。
しかしてめげてはいけません。次なるミッションは・・・
「東京麺通団」でうどんを食せよ・・・・!!
ここも語ると長すぎるので以下URLご参考を・・・

http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?event_id=6908&pageId=A01&processId=02
ひゃあ、うますぎ!!




しかし、東京の人はうどん食うのも上品だなぁ・・・
ネギとかおろししょうがを別の皿に取り分けない!!
うどんを一本ずつすするな!飲め!!!
あああああ!!!久しぶりに高松にいきたくなったぞおおお!

更に回遊。
今度は目黒。
目黒と言えば秋刀魚・・・・旬ぢゃないだろっっ!!
「目黒寄生虫博物館」へGO!です!!
http://kiseichu.org/default.aspx
私は2回目の探訪なのですが
相変わらずの静かな熱気に感動します。
興味本位結構、しかして真摯。
来訪者の自然な態度がひしひしと伝わります。

この周辺は家具屋さんが集結しています。
ぶらぶらします。

しかしてくたびれました・・・
東京は広い。大きすぎる。人が多くてくたびれる。
しかし、古い雰囲気を残す街角がまだまだあると思います。
機会があればそんな昔の面影や
知的好奇心を満たしてくれる場所を再訪しましょう。

2010年1月16日土曜日

古民家再生ボランティア

兵庫県篠山市で活動されているNPO法人「たんばる組」
その活動の一環として地域の古民家を再生すると言う取り組みがあります。
「古民家再生」はいろいろな要素、問題をはらみます。
経済的、地域的、人手の問題。
「なぜ古い家・町並みを保存するのか?」と言う
理念的な追求も求められます。

私は時々「お手伝いにきましたぁ・・・」
的な お気楽立場で
参加させてもらっています。

再生プロジェクトとしては4棟目になる
篠山城近くの現場に10時集合です。
夜の間に少し雪が積もったようです。
寒い日ですが思ったより参加者が集まりました。

本日の作業は建具の洗い出しと塗料塗りです。
障子紙を破ってはがして糊をふき取り乾かします。
ガラス入りの建具の方はガラスがなかなかはずせず
大苦戦を強いられています。












きれいになった建具に柿渋を塗ります。
伝統的な水性塗料で防腐効果もあるそうです。
水性なので扱いよい筈なのですが
それでも ムラやダマが出たりで難しいものです。

お昼は河原町の「栄亀堂カフェ」さんに連れて行ってもらいました。
重厚な内装と家具と光に囲まれる贅沢空間です。

















「古民家」と言っても様々。
それをどう再生するか?技術的、地域社会的な問題があります。
そして「再生」した後に「どう活用するか?」・・・
収益的な問題が発生します。建てて終わりではありません。
そんなお話を聞きながらおいしい和食ランチを頂きます。

大切なのは再建した後の「在り方」なのですが
私なんかは「解体楽しーや!!」程度の考えで参加しているので
考えも及びません。反省。

カフェの居心地があまりによかったのでまったりとしてしまいました。
午後の作業を急ぎましょう。

午後も作業内容は同じです。
障子の桟に柿渋を塗るのは実に細かい作業で難航します。

家人は裏手でなにやら別のミッションを敢行中。
こちらは柿渋+紅柄+煤の混合塗料を屋根板に塗れと
指示されたらしく、脚立に板を渡して高いところで悪戦苦闘。

紅柄の歴史、古民家ギャラリーなどの情報は
http://www.w-union.jp/19union/11nishie/sp.html
↑奥備中の大庄屋・西江邸のHPです。
紅柄だけではなく家屋や陶器などの多岐に渡る
資料、情報が満載です。
ここの訪問記はいずれまとめて投稿したいと思います。

16時過ぎ、作業終了。解散となりました。
夕闇が迫ります。

来週も作業があるそうですが我々は上京予定があり
参加不能・・・
残念ですが、このプロジェクトの時間遣いは
すごく長いものなので焦ってはいけません。
また行きましょう。

2009年12月31日木曜日

竹田城跡より龍野へ(その2)


塩田温泉は静かで極上の宿でした。(ラベル「極楽非道!温泉三昧」に記載)

チェックアウトが11時なのでずるずる居ついてしまいそうですが
10時20分、ようやく出発。
心配していた寒波は通過したようですが強い風が残ります。
宿の方が寒い中、見送って下さいました。

地道を伝って龍野市に向かいます。一時間弱の道のりです。
龍野城を探し当てますが年末で門が閉まっています。
「・・・ここまで来たのに入れないのかな・・・」
「合言葉を言ったら開いたりして」
「何?合言葉って」
「"しょうゆ??!"と聞かれたら"もろみ!"と答える」
家人とアホな会話を交わしながら進入路を探します。
城門は閉ざされていましたが、横手から入る道はちゃんとありました。

<龍野城(龍野市の看板より転記)>
 龍野城は今から500年ほど前、鶏籠山山頂に築かれたもので、
初代城主は赤松村秀でありました。
以後、赤松時代は4代続きましたが、天正五年(1577)に
信長の命により秀吉の播州征伐の軍門に降り開城しました。
その後、慶長初年に山頂にあった天守破却されたといういい伝えがあります。
江戸時代に入ると龍野城は現在地に平山城として築かれましたが、
万治元年京極高和の丸亀移転にさいして破却され、
その後十四年は天領となっていました。
寛文十二年(1672)幕命によって信州飯田から脇坂安政が五万三千石で入部
龍野城を再建しましたが、時代は既に太平の世でもあ
また外様大名でもあったため幕府の疑念に触れる事を怖れ
御殿式の築城に決したといわれ、そのため城郭と言うより
武装化した邸宅と考えていただければよいと思います。
 現在の本丸御殿は昭和五十四年に再建したものですが、
再建にあたっては当時を偲ぶ貴重な資料や現在残る
数点の古図に基づき重建したものです。
 

どんな城でも幾多の変遷を重ねているものですが「武装化した邸宅」が
最終的な落としどころだったのですね・・・

さて、先ほどの合言葉ですが、当然「醤油の町、龍野」から出たものです。
驚く無かれ、この龍野の町には「もろみ」の自動販売機が存在しているのです。
出来れば醤油屋さん・資料館巡りをしたかったのですが
年末でどこも閉館。寒いしもう帰ろうか、と相談していましたが
なぜか「野見宿彌(のみすくね)神社」に参拝してしまいます。野見宿彌命は
相撲の神さま。昨日の表米神社に続いてなにやら相撲関係に引き寄せられます。
しかし・・・・すごく高い処に本殿はありました!!






本殿・社と言うよりこれは明らかに古墳・墓陵の形態です。
石の扉を支える石垣には、宿彌が殉死の代わりに土偶を奉げなさいと天皇に進言した
故事に倣うのでしょうか、小さな小さな土偶がたくさん並んでいてかわいいのです。

山を下って開いていた御茶屋さんでもろみなどを購入。

昨日早朝から密度の濃い贅沢な遊びをさせてもらいました。
年が替わるのももうすぐです。いい加減に切り上げて家に帰りましょう。

この地域は雪彦山なども絡めてまた訪れたい場所です。

(追記)・・・(その2)に添付した写真は画質↓↓です。
   と言うのも途中でデジカメが遭難して「写×るん×す」で補充したデータなので・・・
   その顛末、データ保存ののあれこれにも壮絶なドラマがあったのですが。
   結論「家の家電もネコ化している」・・・・
   (ラベル「使役人間的生活・・・嗚呼、猫さま」)に投稿予定。

2009年12月30日水曜日

兵庫県 竹田城跡より龍野へ(その1)

ずっと以前より行って見たい城がありました。
正確に言うと城、ではなく城跡です。
兵庫県朝来市和田山町・竹田城跡。
映画のロケでも利用された事で有名な処です。
写真などで見る機会も多いのでかえって「行こう!」とは
思わないままずるずる年月が過ぎてしまいました。

年も押し迫った12月30日早朝、車で出発。
高速舞鶴道より北近畿豊岡自動車道へ乗り換えて和田山方面へ。
地道に降りたところでちょっと迷走しましたが8時少し前には無事到着。

まず、城跡の対面に位置する「立雲峡」を目指します。
入り口の道が細く、かつややこしいホテルの看板があったりで
ここでも迷走を重ねます。ようやく道を探し当ててセカンドギアで
上り始めます。対向車が来たら終わりだ・・・と思いつつも
なんとか駐車場にたどり着きました。城マニア・オタク・ファンの
方々が思い思いにポジション取りをしてカメラを構えていらっしゃいます。
この年の瀬、寒い中で何か静かな熱気が漂っている様でもあります。

雲海が出れば雲の中に城跡が浮かび実に幻想的な風景となります。
ただ、この1週間は気候的にもだめだな、と思ってはいました。
案の定、雲も霧もありません。初めてぽっと来て雲海を見ようとはあつかましいでしょう。
しかし、冬の弱い朝日にうっすらと照らされた城跡は微妙な陰影を構成しながら
静かに佇んでいます。
「紫雲たなびく」と言うのはこのことでしょうか。
双眼鏡を取り出して石垣をじっくり観察します。




←遠景で分かりづらいのですが・・・雰囲気はありすぎるほどありました。
さて、立雲峡は的場山の中腹にあるビューポイントです。
せっかくだから頂上踏破をもくろみましたが愛宕神社まで登って
ピークは更に奥の奥にあることを確認。しかも結構な急傾斜。
諦めて降ります。

さて、ついに竹田城跡のふもとの駐車場に来ました。
「近道」の表示につられて進んだらこれがとんでもない急勾配。
こんな処を甲冑で身を固めて武器持って這い上がって戦うのかあ・・・!
昔の人の体力・胆力には驚かされます。

ようやく這い上がると目前に重厚な石垣が迫ります。
正直、ここまでしっかりとした構造で残っているとは思いませんでした。
初期は単なる砦だったのが石垣技術が進歩してからいわゆる「城」を構築したとか。
建物が失われたため、本丸・二の丸・大手門などの基礎や配置が
見えやすくなっています。
なによりも「穴太積み(あのうつみ)」と言われる技法で構築された石垣に迫力を感じます。
石にもたれかかっていると何とも言えない安心感、安定感があり
ずっとしがみついていたい気分です。

しかして寒い・・・当然、吹きっさらしなのでそうそうのんびりと石に張り付いている
わけにも行きません。
城跡のあちこちに桜の木が見えます。春には祭りも催される様子です。
時期を変えてまた来ましょう。再訪したい気にさせられる場所です。


www5.nkansai.ne.jp/off/wakk 和田山町観光協会HP





<竹田城に関する説明文(看板より一部抜粋・改変して転記)>
竹田城は嘉吉年間(1441-43)に、守護大名の山名持豊(宋全)が有力家臣のひとりである太田垣に築かせた城である。そのころの竹田城は砦(小規模な要塞)に近かった。最近の調査によると、現在のような壮大な石積みの城郭になったのは、慶長五年(1600年)の廃城時にごく近い時代と考えられている。
竹田城の縄張りは、最高所の天主台をほぼ中央に置き、本丸以下、二の丸・三の丸・南二の丸が梯郭式に配され、大手門を防御する枡形部に沿う北千畳郭と搦手口のある南千畳を双翼とし、さらに、天主台の北西部には花屋敷と称する一郭がある。
規模は南北約400m、東西約100mである。(昭和18年9月8日、国史跡に指定)

竹田城の石垣は構築技法から見て、穴太積み(あのうつみ)を採用している。穴太積みとは近江国(現滋賀県)
坂本を中心に発達した石垣構築法の総称であるが、積みかたから言えば野面積み(のづらつみ)石垣と言えよう。野面積みとは加工を施さない自然石をそのまま積んだもので、隙間が多く、一見して粗雑に見えるが水はけがよく、崩れを防ぐ。
竹田城の場合、石垣が築かれてから約400年が経つがね一部の復元箇所を除いて当時のままの姿を今日に伝え、石積みのもつ深い味わいはたとえようもない。



朝来駅前に来ました。
年末なので駅舎内の観光案内はしまっています。
替わりに、客待ちをしていたタクシーの運転手さんがパンフレットをくれました。
ありがとうございます。
駅前より線路をくぐって寺町方面へ向かいます。
疎水が引かれてこじんまりとした静かな町並みです。
それでも平成16年には台風による土砂災害があったようで
あちこちにその傷跡が残っているのが見受けられます。
竹田城がそびえる山を背中にしょっている形なので
ひとたび自然災害が起こると厳しいものがあるのでしょう。
逆に、山ごと城跡を守ってきた和田山の人たちの永い永い努力に頭が下がります。

表来神社というお社が現われました。
結構な急傾斜の階段の上にあるので尻込みしますが
「相撲桟敷がある」との情報につられてお参りします。
「相撲桟敷・・・・?」
上がってみると、本殿前の広場にむき出しの土俵がありブルーシートが掛けられています。
なんだ・・・興ざめだなあ・・・と思って目を移すと
その土俵を取り囲む形で石垣で段が組んであります。これが「桟敷」です。
しかも桟敷の対面には大きな舞台が残っています。
かなり古くて梁は歪み床も危なげですが、とにかく大きな建物で存在感があります。
つまりは神事、庶民の娯楽として相撲、歌舞伎が奉納される、
それを見物するためのスタジアムが「相撲桟敷」なのですね。
同じような構造物を小豆島で見たことがあります。
桟敷席は各家によって座る位置、順番が決められていて
現在でも固く守られていると聞きましたがこの朝来の地でも同じなのでしょうか。




<表米神社の説明文(和田山市教育委員会の看板を転記)>
表米宿彌命(ひょうまいすくねのみこと)を祀る。宿彌命は赤淵神社(放田),俵米神社(久世田)の祭神でもあり、丹後・白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した武人である。神社は宝永年間(1704-1710)にこの地へうつされたと伝えられている。本殿は三間社流造で千鳥破風を有している。また、干支を周囲にめぐらせており、その彫刻はすばらしい。

<相撲桟敷の説明文(同上)>
中央の土俵を囲んで、半円形に6段に石が積まれている。土俵を越えた正面には舞台もあって、歌舞伎の見物にも供ぜられたものと考えられる。江戸末期並びに明治年間の座席割が各一枚残っており、その使用の実態を立証することができる。この種の半円形石積み段型桟敷は、長門市赤碕山の楽桟敷(国指定)を除いて知られた例がなく、たいへん貴重なものである。(昭和45年3月30日 県指定)


朝から歩き回ったのでおなかがすきました。
道の駅を目指して移動します。

今晩は姫路・塩田温泉に宿泊の予定です。

2009年8月9日日曜日

奈良探訪(その2)

本日は早朝より雨です・・・
チェックアウト時間ぎりぎりまで様子眺め。
今日の目的地はちょっと移動が複雑なので
雨だと腰がひけるのですが・・・

雨の合間をぬって歩き出します。
タクシーも駆使して目指した処は・・・
http://kiyosumi.jp/awa/

地場の伝統野菜を利用した自然食レストラン
「粟-AWA-」さんです。
ここは家人が以前からチェックしており
機会があれば訪れたいと思っていたところです。
1日20名の完全予約制です。

専用駐車場から少し小 高いところに登ると
レストランの建物が現れます。
周りにはヤギがいたり道祖神さん?がいたりでのどかです。

こちらのコンセプトは「大和伝統野菜」「雑穀」「自然食」など多岐に渡り
地域活性の動きにも
繋げておられるようで
お料理のおいしさ美しさも
さることながら
店主ご夫妻の取り組み方に
感銘を受けました。





                        ↑ 同じトマトでもこの多様性!!↑

飼われているヤギと遊んだり置かれている冊子を読んだりで
ゆっくりと過ごさせて頂きました。

13:58発の路線バスで中心部に帰ります。

途中下車して「ならまち」をうろうろします。
遷都1300年を控えて観光に力が入っているためでしょうか、
数年前に訪れたときよりも活気があるように思えます。
様々なクラフトショップがたくさんあり
「・・・いかん・・・これ以上、長居してはお財布が破産する・・・」
カードを出す勢いになりかねないため自粛して帰る事にします。

台風の影響で雨脚が強まってきました。
万灯会のために浴衣で出てきた娘さんたちが
ちょっと可哀想です。

駆け足で色々な処を巡りました。
奈良も懐が深い地域ですね・・・・

2009年8月8日土曜日

奈良探訪

遷都1300年を来年に控えて改めて注目を集めている奈良。
夜、奈良公園を中心に灯りをともす万灯会(まんとうえ)が催されるとか。
それを見がてら、古い町並やお城を訪ねることにします。
AM10時少し前、近鉄八木駅に着きました。
そこから歩いて、古い寺内町である"今井町"を目指します。
看板を頼りにすすむと大きな建物に出ました。

現在は資料館として利用されているようです。
今井町まちなみ交流センター"花甍")




http://http//www.nara-kankou.or.jp/campaign/2005winter/mati2005_w.htm
センターの中は涼しいので出たくなくなりますが
それでは何をしに来たのかわかりません・・・
暑い中をせっせと歩き回ります。
思っていたよりも規模が大きく、そして落ち着いた佇まいです。
町内約700軒のうち500軒が古い形態を保っている
大規模保存地区だそうです。
昭和30年より復元、保存の取り組みを始めたそうで
これは全国的にも早い動きではないでしょうか。
観光産業的な動きは少なくあくまでも「生活の場」と言った感じがします。
観光客としてはもう少し休める店とかが欲しいとも思いましたが・・・
あまりざわざわされても住んでるほうはかなわないでしょうね・・・

近鉄郡山駅に移動します。
ここに来たのはお城を見るためと
そして「金魚資料館」なるものがあると聞いたためです。
どうやら私設の資料館らしいのですが、金魚の町大和郡山に
ふさわしい施設ではないでしょうか。
ぜひ、行かねば!と歩き出しますが・・・道が分かりません・・・
散々、迷って人に尋ねてようやく方向が分かりましたが
「・・・・こりゃあ分からん!」
香川のうどん名店探訪なみの難しさです。遠くに看板が見えるので近づこうとします
田んぼと用水路をどんどん越えていかねばなりません。
しかも、その用水路を流れる水の中に小さな赤い点々が見えるのですが・・・
金魚です!さすがは本場!「のら金魚-のらきん」発見です!
href="http://www.kingyoen.com/index.htm">http://www.kingyoen.com/index.htm
有限会社 やまと錦魚園 さんHPです・・・残念ながらあまり更新されていない様子ですが・・・



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養魚場が周りに広がり、資料館はそのほぼ中央に位置しています。
こられた方はどうぞ御自由に、というスタイルです。
中には様々な品種の金魚が入った水槽がずらりと並んでいます。
これだけの金魚の種類をいっぺんに見られる処はそう無いでしょう。
ほかにも金魚飼育に関する民具などが収められています。
先代さんの趣味とおもわれる中庭もなかなかいい雰囲気を醸し出しています。
金魚とはかなりミスマッチなのですが、なんだか居心地のいい空間でした。



暑い中、ひーひー言いながらも移動を再開します。
大和郡山城を攻め落とすためです。
かなり近づいた筈なのですが学校とかお寺の間を
ぐるぐる回ってしまいなかなか攻め落とせません。
どうやら裏手から近づいてしまった様子です。
突然、深い堀と見事な石垣が現れ、驚きました・・・

残念ながら本丸の現存・再建は無く
本丸部分には神社が鎮座されています。
敷地内には「柳沢文庫」があり、貴重な資料、文書が収められています。
http://www.mahoroba.ne.jp/~yngbunko/           

柳沢文庫や郡山の歴史に関してはこちらから↑どうぞ

中はクーラーが効いていてありがたかったです・・・
資料室の隣の部屋では子供さん対象の?催しが開かれているようで
ビデオの音でしょうか「歴史街道」のテーマが繰り返し聞こえてくるのには
少し笑いました。

こういう文書、資料は手をつけ始めると終わりが無いんですよね・・・
残念ながら時間切れ。後ろ髪を引かれる思いで立ち去ります。
後ろ髪を引っ張るのはクーラーの冷気なのですが・・・・

奈良に到着しました!

今晩、お世話になる宿は「松前旅館」さんです。

http://www.matsumae.co.jp/index2.html
御主人が彫刻家、奥様が書家のご夫婦が経営されているとかで
様々なオブジェや作品が建物の内外を飾ります。
狂言のお稽古会もあるそうです。
ご主人は外国で氷彫刻をされていたとの事でその関係でしょうか
外国のお客さんが多く、われわれ日本人は完全にマイノリティーです。
国内旅行なのになんだが外国に来たみたいでこれも楽しいものです。
建物自体はやや古くて入り組んだ感じがしますがリフォームによって
気持ちのいい空間がそこここに作ってあります。
夜は・・・万灯会です・・・
が・・・宿に到着後、商店街をうろうろしたところ、
もちつきは始まるわ面白い店は多いわではしゃいでしまい、
暗くなって灯りが燈るころにはへろへろで記憶も朦朧と相成りました・・・・
市役所の屋上を開放してくれていたのでそこまで上がって
奈良の夜景を見た記憶はあるのですがね・・・
あと、市役所前の「せんとくん」のでかい人形に抱きついたような気も・・・。
だいぶ疲れたようです。帰って寝ることにします