2009年12月31日木曜日

竹田城跡より龍野へ(その2)


塩田温泉は静かで極上の宿でした。(ラベル「極楽非道!温泉三昧」に記載)

チェックアウトが11時なのでずるずる居ついてしまいそうですが
10時20分、ようやく出発。
心配していた寒波は通過したようですが強い風が残ります。
宿の方が寒い中、見送って下さいました。

地道を伝って龍野市に向かいます。一時間弱の道のりです。
龍野城を探し当てますが年末で門が閉まっています。
「・・・ここまで来たのに入れないのかな・・・」
「合言葉を言ったら開いたりして」
「何?合言葉って」
「"しょうゆ??!"と聞かれたら"もろみ!"と答える」
家人とアホな会話を交わしながら進入路を探します。
城門は閉ざされていましたが、横手から入る道はちゃんとありました。

<龍野城(龍野市の看板より転記)>
 龍野城は今から500年ほど前、鶏籠山山頂に築かれたもので、
初代城主は赤松村秀でありました。
以後、赤松時代は4代続きましたが、天正五年(1577)に
信長の命により秀吉の播州征伐の軍門に降り開城しました。
その後、慶長初年に山頂にあった天守破却されたといういい伝えがあります。
江戸時代に入ると龍野城は現在地に平山城として築かれましたが、
万治元年京極高和の丸亀移転にさいして破却され、
その後十四年は天領となっていました。
寛文十二年(1672)幕命によって信州飯田から脇坂安政が五万三千石で入部
龍野城を再建しましたが、時代は既に太平の世でもあ
また外様大名でもあったため幕府の疑念に触れる事を怖れ
御殿式の築城に決したといわれ、そのため城郭と言うより
武装化した邸宅と考えていただければよいと思います。
 現在の本丸御殿は昭和五十四年に再建したものですが、
再建にあたっては当時を偲ぶ貴重な資料や現在残る
数点の古図に基づき重建したものです。
 

どんな城でも幾多の変遷を重ねているものですが「武装化した邸宅」が
最終的な落としどころだったのですね・・・

さて、先ほどの合言葉ですが、当然「醤油の町、龍野」から出たものです。
驚く無かれ、この龍野の町には「もろみ」の自動販売機が存在しているのです。
出来れば醤油屋さん・資料館巡りをしたかったのですが
年末でどこも閉館。寒いしもう帰ろうか、と相談していましたが
なぜか「野見宿彌(のみすくね)神社」に参拝してしまいます。野見宿彌命は
相撲の神さま。昨日の表米神社に続いてなにやら相撲関係に引き寄せられます。
しかし・・・・すごく高い処に本殿はありました!!






本殿・社と言うよりこれは明らかに古墳・墓陵の形態です。
石の扉を支える石垣には、宿彌が殉死の代わりに土偶を奉げなさいと天皇に進言した
故事に倣うのでしょうか、小さな小さな土偶がたくさん並んでいてかわいいのです。

山を下って開いていた御茶屋さんでもろみなどを購入。

昨日早朝から密度の濃い贅沢な遊びをさせてもらいました。
年が替わるのももうすぐです。いい加減に切り上げて家に帰りましょう。

この地域は雪彦山なども絡めてまた訪れたい場所です。

(追記)・・・(その2)に添付した写真は画質↓↓です。
   と言うのも途中でデジカメが遭難して「写×るん×す」で補充したデータなので・・・
   その顛末、データ保存ののあれこれにも壮絶なドラマがあったのですが。
   結論「家の家電もネコ化している」・・・・
   (ラベル「使役人間的生活・・・嗚呼、猫さま」)に投稿予定。

兵庫県 塩田温泉 上山旅館

竹田城を探訪。朝来のあちこちに立ち寄りながら塩田温泉に向かいます。
宿を家人の選択に任せていたらここをチョイスしていました。
どうやら、朝ごはんの「お粥」に魅かれた様子。

大きな地図で見る

最後の曲がり角がわかりにくかったのですが無事、到着。
寒い中、旅館の方が迎えてくれます。



塩田温泉には旅館が何軒かありますが
この「上山温泉」は一番奥に建っています。
建物は増改築を繰り返したためやや複雑になっていますが
それが故に部屋に入ってしまうと外界と隔絶された雰囲気になります。
お湯はさらさらつるつる系でよく温まります。
山陰な事もあり寒さが厳しいのですが
部屋にはホットカーペットもあり快適です。

翌朝、部屋に猫が遊びに来てくれました。
我々の部屋は「紅葉の間」
この部屋の常連さんが泊まる時に猫に餌持って来てくれるので
間違えた様子です。
猫・宿・温泉がお好きな方は「紅葉の間」おすすめです。

朝のお粥は塩分を含んだ温泉の水で炊き上げたやさしい味でした。
他にもお野菜、お魚などがいい感じでまとめ上げて出されます。
このお粥は明治時代頃からの名物だとか。

宿の方々の応対、雰囲気がすごく素敵で
泊まるお客さんもその雰囲気に惹かれて集まっているような感じです。
雪彦山登山にも利用できそうです

2009年12月30日水曜日

兵庫県 竹田城跡より龍野へ(その1)

ずっと以前より行って見たい城がありました。
正確に言うと城、ではなく城跡です。
兵庫県朝来市和田山町・竹田城跡。
映画のロケでも利用された事で有名な処です。
写真などで見る機会も多いのでかえって「行こう!」とは
思わないままずるずる年月が過ぎてしまいました。

年も押し迫った12月30日早朝、車で出発。
高速舞鶴道より北近畿豊岡自動車道へ乗り換えて和田山方面へ。
地道に降りたところでちょっと迷走しましたが8時少し前には無事到着。

まず、城跡の対面に位置する「立雲峡」を目指します。
入り口の道が細く、かつややこしいホテルの看板があったりで
ここでも迷走を重ねます。ようやく道を探し当ててセカンドギアで
上り始めます。対向車が来たら終わりだ・・・と思いつつも
なんとか駐車場にたどり着きました。城マニア・オタク・ファンの
方々が思い思いにポジション取りをしてカメラを構えていらっしゃいます。
この年の瀬、寒い中で何か静かな熱気が漂っている様でもあります。

雲海が出れば雲の中に城跡が浮かび実に幻想的な風景となります。
ただ、この1週間は気候的にもだめだな、と思ってはいました。
案の定、雲も霧もありません。初めてぽっと来て雲海を見ようとはあつかましいでしょう。
しかし、冬の弱い朝日にうっすらと照らされた城跡は微妙な陰影を構成しながら
静かに佇んでいます。
「紫雲たなびく」と言うのはこのことでしょうか。
双眼鏡を取り出して石垣をじっくり観察します。




←遠景で分かりづらいのですが・・・雰囲気はありすぎるほどありました。
さて、立雲峡は的場山の中腹にあるビューポイントです。
せっかくだから頂上踏破をもくろみましたが愛宕神社まで登って
ピークは更に奥の奥にあることを確認。しかも結構な急傾斜。
諦めて降ります。

さて、ついに竹田城跡のふもとの駐車場に来ました。
「近道」の表示につられて進んだらこれがとんでもない急勾配。
こんな処を甲冑で身を固めて武器持って這い上がって戦うのかあ・・・!
昔の人の体力・胆力には驚かされます。

ようやく這い上がると目前に重厚な石垣が迫ります。
正直、ここまでしっかりとした構造で残っているとは思いませんでした。
初期は単なる砦だったのが石垣技術が進歩してからいわゆる「城」を構築したとか。
建物が失われたため、本丸・二の丸・大手門などの基礎や配置が
見えやすくなっています。
なによりも「穴太積み(あのうつみ)」と言われる技法で構築された石垣に迫力を感じます。
石にもたれかかっていると何とも言えない安心感、安定感があり
ずっとしがみついていたい気分です。

しかして寒い・・・当然、吹きっさらしなのでそうそうのんびりと石に張り付いている
わけにも行きません。
城跡のあちこちに桜の木が見えます。春には祭りも催される様子です。
時期を変えてまた来ましょう。再訪したい気にさせられる場所です。


www5.nkansai.ne.jp/off/wakk 和田山町観光協会HP





<竹田城に関する説明文(看板より一部抜粋・改変して転記)>
竹田城は嘉吉年間(1441-43)に、守護大名の山名持豊(宋全)が有力家臣のひとりである太田垣に築かせた城である。そのころの竹田城は砦(小規模な要塞)に近かった。最近の調査によると、現在のような壮大な石積みの城郭になったのは、慶長五年(1600年)の廃城時にごく近い時代と考えられている。
竹田城の縄張りは、最高所の天主台をほぼ中央に置き、本丸以下、二の丸・三の丸・南二の丸が梯郭式に配され、大手門を防御する枡形部に沿う北千畳郭と搦手口のある南千畳を双翼とし、さらに、天主台の北西部には花屋敷と称する一郭がある。
規模は南北約400m、東西約100mである。(昭和18年9月8日、国史跡に指定)

竹田城の石垣は構築技法から見て、穴太積み(あのうつみ)を採用している。穴太積みとは近江国(現滋賀県)
坂本を中心に発達した石垣構築法の総称であるが、積みかたから言えば野面積み(のづらつみ)石垣と言えよう。野面積みとは加工を施さない自然石をそのまま積んだもので、隙間が多く、一見して粗雑に見えるが水はけがよく、崩れを防ぐ。
竹田城の場合、石垣が築かれてから約400年が経つがね一部の復元箇所を除いて当時のままの姿を今日に伝え、石積みのもつ深い味わいはたとえようもない。



朝来駅前に来ました。
年末なので駅舎内の観光案内はしまっています。
替わりに、客待ちをしていたタクシーの運転手さんがパンフレットをくれました。
ありがとうございます。
駅前より線路をくぐって寺町方面へ向かいます。
疎水が引かれてこじんまりとした静かな町並みです。
それでも平成16年には台風による土砂災害があったようで
あちこちにその傷跡が残っているのが見受けられます。
竹田城がそびえる山を背中にしょっている形なので
ひとたび自然災害が起こると厳しいものがあるのでしょう。
逆に、山ごと城跡を守ってきた和田山の人たちの永い永い努力に頭が下がります。

表来神社というお社が現われました。
結構な急傾斜の階段の上にあるので尻込みしますが
「相撲桟敷がある」との情報につられてお参りします。
「相撲桟敷・・・・?」
上がってみると、本殿前の広場にむき出しの土俵がありブルーシートが掛けられています。
なんだ・・・興ざめだなあ・・・と思って目を移すと
その土俵を取り囲む形で石垣で段が組んであります。これが「桟敷」です。
しかも桟敷の対面には大きな舞台が残っています。
かなり古くて梁は歪み床も危なげですが、とにかく大きな建物で存在感があります。
つまりは神事、庶民の娯楽として相撲、歌舞伎が奉納される、
それを見物するためのスタジアムが「相撲桟敷」なのですね。
同じような構造物を小豆島で見たことがあります。
桟敷席は各家によって座る位置、順番が決められていて
現在でも固く守られていると聞きましたがこの朝来の地でも同じなのでしょうか。




<表米神社の説明文(和田山市教育委員会の看板を転記)>
表米宿彌命(ひょうまいすくねのみこと)を祀る。宿彌命は赤淵神社(放田),俵米神社(久世田)の祭神でもあり、丹後・白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した武人である。神社は宝永年間(1704-1710)にこの地へうつされたと伝えられている。本殿は三間社流造で千鳥破風を有している。また、干支を周囲にめぐらせており、その彫刻はすばらしい。

<相撲桟敷の説明文(同上)>
中央の土俵を囲んで、半円形に6段に石が積まれている。土俵を越えた正面には舞台もあって、歌舞伎の見物にも供ぜられたものと考えられる。江戸末期並びに明治年間の座席割が各一枚残っており、その使用の実態を立証することができる。この種の半円形石積み段型桟敷は、長門市赤碕山の楽桟敷(国指定)を除いて知られた例がなく、たいへん貴重なものである。(昭和45年3月30日 県指定)


朝から歩き回ったのでおなかがすきました。
道の駅を目指して移動します。

今晩は姫路・塩田温泉に宿泊の予定です。

2009年12月28日月曜日

2009年 畑納めの道具たち



昼間は日差しがあり作業ができます。
水辺を整理してサトイモ畑の準備です。
一年、それなりにがんばった道具たち・・・手入れがずさんで反省。
研いだり油を引いたり。
16時撤収。
もう夕闇が迫ってきました。

2009年12月24日木曜日

冬の畑は難しい

さて・・・「ブロッコリーのアブラムシ和え」その後の顛末は・・・
大切に大切に育てたブロッコリーをよくも!とばかりに農薬を・・・かける勇気も無く
界面活性剤(洗剤ですね)と木酢液を混ぜた液体を噴霧。
しかして、これがきつかったのか(6月にもナスで同じ轍を踏んだ・・・
"自然っぽい"液体だからOKではないと分かっていた筈なのに・・・つい)
霜の降り方がきつかったのかダブルパンチでブロッコリー全滅しました。
「初心者でも失敗するほうが難しい」野菜NO.1を2年連続で失敗。
わっはっは・・・・さすがに凹凹凹
昨年と同じくトップを切り飛ばして脇芽に期待するしかありません。
霜が降りる前にさっさと収穫してしまえばよかったのですが
もう少しもう少しと延ばしていたのが裏目に出ました。
今年も夏から秋の種まき、植え付けが遅れた上に
地力が無い畑なので成長は緩除。収穫の時期の見極めが出来ませんでした。
・・・落ち込んでばかりもいられません。越年するエンドウの苗の手入れや
サトイモ畑のメンテナンス、大根とにんじんの収穫・・・作業はてんこ盛り。
一つ一つは小さい野菜たちですが集めると結構な量に。
コンテナに詰めて自宅に持ち帰ります。

2009年12月17日木曜日

霜が降りました




暖冬・温暖化とのことで霜が降りるのもかなり遅かったです。
はっきりとした霜が降りたのは今日が初めてです。
昨日はブロッコリーにアブラムシが湧いていたので
寒さは歓迎モードですが・・・・
霜の降りた情景はきれいです。

2009年12月16日水曜日

アブラムシが・・・・

ブロッコリーがゆっくりと育っています。
ものの本に「初心者でも栽培に失敗するほうが難しい」と書かれているブロッコリー。
昨年は、中央の花芯が育たずあえなく「失敗」
春になって脇芽を伸ばして食しましたが。
今年は花芯がかなり大きく育って「しめしめ」
いつ掻き切って食べようかと待ち構えていました。
ついに!切って台所に運んでまな板の上に乗せて片や鍋でお湯を沸かして!
・・・・?まな板の上に散らばる細かい点々は何でしょう???目を近づけて・・・
「うわあああああああ!!!(チキン肌と共にほとばしる絶叫)」
そう、その多数の点々はアブラムシでした。
まな板が白色なのでその虫体の緑と言うか黒と言うかの色が映える映える。
更に、やりたくはなかったのですが覚悟を決めて花芯本体にも目を近づけます。
「!!!!!!!!!!」
そう、花芯と茎の隙間にびっしりと・・・忌まわしいモノが・・・・・・
暖を求めて隙間に避難、そこでぬくぬくと増殖した模様。
カメムシとおんなじだあ・・・・
思わず煮えたぎってきたお湯の中に投入。水洗いをしてみたのですが
30回以上洗ってもぷかぷかと・・・・が浮いてくる始末。
涙が出るってどころの騒ぎではございません。
無農薬、自然農法を志した私の負け。志はあくまでも高く、しかして現実は現実。

2009年12月10日木曜日

種取り物語



午後からは雨かしら・・・・?

12月なのですがキャベツにはまだ青虫がいます。
暖冬なんですね。

さて、下側写真に見える小さな黒いつぶつぶはなんでしょう?
・・・なんと・・・「朝鮮人参の種」です!
朝鮮人参って種があったんだ・・・当たり前のようですが
考えた事もなかったなあ・・・
さるお方に例の「ペンギン豆」を一山差し上げたら
たいそう喜んでくれて「お返しに」貰いました。
かなりマニアックな種交換ですね。

しかしてこの種「人参」の種には見えません。
なんでも「朝鮮人参」とは言うものの「ヤツデ」の仲間とか。
更に「12月中に蒔きなさい」と言われびっくり。
こんな冬の時期に蒔く種があるのか??
「絶対、乾燥させない。発芽したら3月までは地下で根を張る。
地上部分が見えるのは4月になってから。収穫まで最低3年かかる」
次々と指令が飛びますが・・・べつに朝鮮人参育ててナニする気は
ないんですが・・・と思いつつ余ったスペースに蒔いてみます。

何を蒔いて育ててどう利用するかは個人の考えで自由です。
ただ、ちゃんと種を取って保存してまた次の季節に蒔いて継いで行く、
そういう作業(サイクル)はとても大切です。
面倒くさいけれど・・・それに今は「自家採取」が出来ない
システムになっているけれど・・・・
細々と「種取り物語」をやっています。


他、豆の整理とかセロリの移植などをしていると日が傾きます。
結局、まとまった雨にはなりませんでした。

2009年8月9日日曜日

奈良探訪(その2)

本日は早朝より雨です・・・
チェックアウト時間ぎりぎりまで様子眺め。
今日の目的地はちょっと移動が複雑なので
雨だと腰がひけるのですが・・・

雨の合間をぬって歩き出します。
タクシーも駆使して目指した処は・・・
http://kiyosumi.jp/awa/

地場の伝統野菜を利用した自然食レストラン
「粟-AWA-」さんです。
ここは家人が以前からチェックしており
機会があれば訪れたいと思っていたところです。
1日20名の完全予約制です。

専用駐車場から少し小 高いところに登ると
レストランの建物が現れます。
周りにはヤギがいたり道祖神さん?がいたりでのどかです。

こちらのコンセプトは「大和伝統野菜」「雑穀」「自然食」など多岐に渡り
地域活性の動きにも
繋げておられるようで
お料理のおいしさ美しさも
さることながら
店主ご夫妻の取り組み方に
感銘を受けました。





                        ↑ 同じトマトでもこの多様性!!↑

飼われているヤギと遊んだり置かれている冊子を読んだりで
ゆっくりと過ごさせて頂きました。

13:58発の路線バスで中心部に帰ります。

途中下車して「ならまち」をうろうろします。
遷都1300年を控えて観光に力が入っているためでしょうか、
数年前に訪れたときよりも活気があるように思えます。
様々なクラフトショップがたくさんあり
「・・・いかん・・・これ以上、長居してはお財布が破産する・・・」
カードを出す勢いになりかねないため自粛して帰る事にします。

台風の影響で雨脚が強まってきました。
万灯会のために浴衣で出てきた娘さんたちが
ちょっと可哀想です。

駆け足で色々な処を巡りました。
奈良も懐が深い地域ですね・・・・

2009年8月8日土曜日

奈良探訪

遷都1300年を来年に控えて改めて注目を集めている奈良。
夜、奈良公園を中心に灯りをともす万灯会(まんとうえ)が催されるとか。
それを見がてら、古い町並やお城を訪ねることにします。
AM10時少し前、近鉄八木駅に着きました。
そこから歩いて、古い寺内町である"今井町"を目指します。
看板を頼りにすすむと大きな建物に出ました。

現在は資料館として利用されているようです。
今井町まちなみ交流センター"花甍")




http://http//www.nara-kankou.or.jp/campaign/2005winter/mati2005_w.htm
センターの中は涼しいので出たくなくなりますが
それでは何をしに来たのかわかりません・・・
暑い中をせっせと歩き回ります。
思っていたよりも規模が大きく、そして落ち着いた佇まいです。
町内約700軒のうち500軒が古い形態を保っている
大規模保存地区だそうです。
昭和30年より復元、保存の取り組みを始めたそうで
これは全国的にも早い動きではないでしょうか。
観光産業的な動きは少なくあくまでも「生活の場」と言った感じがします。
観光客としてはもう少し休める店とかが欲しいとも思いましたが・・・
あまりざわざわされても住んでるほうはかなわないでしょうね・・・

近鉄郡山駅に移動します。
ここに来たのはお城を見るためと
そして「金魚資料館」なるものがあると聞いたためです。
どうやら私設の資料館らしいのですが、金魚の町大和郡山に
ふさわしい施設ではないでしょうか。
ぜひ、行かねば!と歩き出しますが・・・道が分かりません・・・
散々、迷って人に尋ねてようやく方向が分かりましたが
「・・・・こりゃあ分からん!」
香川のうどん名店探訪なみの難しさです。遠くに看板が見えるので近づこうとします
田んぼと用水路をどんどん越えていかねばなりません。
しかも、その用水路を流れる水の中に小さな赤い点々が見えるのですが・・・
金魚です!さすがは本場!「のら金魚-のらきん」発見です!
href="http://www.kingyoen.com/index.htm">http://www.kingyoen.com/index.htm
有限会社 やまと錦魚園 さんHPです・・・残念ながらあまり更新されていない様子ですが・・・



大きな地図で見る



養魚場が周りに広がり、資料館はそのほぼ中央に位置しています。
こられた方はどうぞ御自由に、というスタイルです。
中には様々な品種の金魚が入った水槽がずらりと並んでいます。
これだけの金魚の種類をいっぺんに見られる処はそう無いでしょう。
ほかにも金魚飼育に関する民具などが収められています。
先代さんの趣味とおもわれる中庭もなかなかいい雰囲気を醸し出しています。
金魚とはかなりミスマッチなのですが、なんだか居心地のいい空間でした。



暑い中、ひーひー言いながらも移動を再開します。
大和郡山城を攻め落とすためです。
かなり近づいた筈なのですが学校とかお寺の間を
ぐるぐる回ってしまいなかなか攻め落とせません。
どうやら裏手から近づいてしまった様子です。
突然、深い堀と見事な石垣が現れ、驚きました・・・

残念ながら本丸の現存・再建は無く
本丸部分には神社が鎮座されています。
敷地内には「柳沢文庫」があり、貴重な資料、文書が収められています。
http://www.mahoroba.ne.jp/~yngbunko/           

柳沢文庫や郡山の歴史に関してはこちらから↑どうぞ

中はクーラーが効いていてありがたかったです・・・
資料室の隣の部屋では子供さん対象の?催しが開かれているようで
ビデオの音でしょうか「歴史街道」のテーマが繰り返し聞こえてくるのには
少し笑いました。

こういう文書、資料は手をつけ始めると終わりが無いんですよね・・・
残念ながら時間切れ。後ろ髪を引かれる思いで立ち去ります。
後ろ髪を引っ張るのはクーラーの冷気なのですが・・・・

奈良に到着しました!

今晩、お世話になる宿は「松前旅館」さんです。

http://www.matsumae.co.jp/index2.html
御主人が彫刻家、奥様が書家のご夫婦が経営されているとかで
様々なオブジェや作品が建物の内外を飾ります。
狂言のお稽古会もあるそうです。
ご主人は外国で氷彫刻をされていたとの事でその関係でしょうか
外国のお客さんが多く、われわれ日本人は完全にマイノリティーです。
国内旅行なのになんだが外国に来たみたいでこれも楽しいものです。
建物自体はやや古くて入り組んだ感じがしますがリフォームによって
気持ちのいい空間がそこここに作ってあります。
夜は・・・万灯会です・・・
が・・・宿に到着後、商店街をうろうろしたところ、
もちつきは始まるわ面白い店は多いわではしゃいでしまい、
暗くなって灯りが燈るころにはへろへろで記憶も朦朧と相成りました・・・・
市役所の屋上を開放してくれていたのでそこまで上がって
奈良の夜景を見た記憶はあるのですがね・・・
あと、市役所前の「せんとくん」のでかい人形に抱きついたような気も・・・。
だいぶ疲れたようです。帰って寝ることにします





























2009年6月17日水曜日

2009年6月の畑記録

6/2(火) やはりオクラがいまいち調子悪く間延び、成長してこない
     白扁豆の苗は結局3本(3/15・・・1/5の確率ですか・・・)
         4本目出たがいまいち虫くわれっぽい
     かぼちゃの本葉が出てくるが誰かがせっせと
         「レース」にしてくれる 姿が見えぬ
6/6(土)  くこの苗から葉の芽吹き2本は確認
     里芋発芽1本確認
     ねぎの整理(根分けと種取り)
     みずなの種取り
6/7(日) 山行を止めて破竹取りに
     その後、農作業大会
     トマトの苗ももらい即席の畝を作って定植
     白扁豆の残りはポットの中で腐っていた
        水分管理失敗・・・と思ったが「豆が古いとそうなる」
                   と言う人もいる
6/8(月) パリパリ夏菜(空芯菜)の種を前日から水侵した上でまく
6/12頃にたまねぎほり上げ・・・玉が小さいのでピクルスに向くかなと考える

この頃より本業がとんでもない状況になり
畑作業↓

6/16(火) じゃがいも(きたあかり)ほり上げ
6/17(水) Nさんのおかーさんの畑はすごい
         もうキュウリ・トマトが実っている!!
          ハクサイまで巻いている!この時期に!!?
                                 ↑秋まきのを敢えて春にまいてみたとの事
             霜に当たらないと甘く旨くはならないけれども
             漬け物くらいには出来るだろうと言う
             一切、農薬は使用していないのに
             葉っぱがきれいなのはなぜだ・・・・
         ナス・にんにくなどいろいろ作っている
         ナスは倒れないように両脇に手を作っておいて
             その横の手を成長にあわせて徐々に上げていくとの事
         にんにくを植えるのは10月
(ここで2009年の畑の紙記録終了)

2009年5月28日木曜日

2009年5月の畑記録

5/3(日) 赤シソ種まき直し・・・寒冷紗で覆っていたので乾燥への警戒が
                  低かったのが失敗の原因と思われる。
     青シソも発芽せず
     ししとう、韓国唐辛子、なす、オクラ、サラダごぼう、ねぎの苗を入れる
5/4(月・祝) 昨年植えつけた果樹(スイートスプリング、レモン・マイヤー)が
        寒さで死んだと思っていたら芽吹いてきたのにびっくり
       溝の端にセリが自生しているのを発見
5/6(水) ヘチマ・モロヘイヤの苗を購入
     ノビルを移植するつもりで根を採取
5/9(土) スギナ・ヨモギ採取→乾燥へ
     ノビルを土手に移植
     畑わさびを畑に植えていたら調子が悪いので移植
     加茂なす苗3本追加
     ヘチマ苗2本定植
     かぶ・春菊の本葉確認
     じゃがいも芽かき
     スナップえんどうの手を補修
     チシャの下葉をかき取り根元を出す
     木酸液などを散布
5/12(火)定植したオクラの苗枯れる・・・根がすごくデリケートみたい
                       苗の根洗い→定植は無理だった
     追加したいが品切れ
5/13(水)ミツバの苗をもらう
5/14(木)オクラの苗定植2回目
     ミツバ苗定植
     たまねぎの下草取り
     セリを移植してみたが先端がほとんど溶けてしまう
     水仙の球根堀り上げ作業
        ・・・途中で柿の木の根っこに引っかかり鍬がゆがむ
5/15(金)かぼちゃポットまき 本葉1-2枚出る
5/16(土)へちまの手をどう立てるかで散々悩む
     手にする竹材の入手で昨年から困っている
     セリは移植するもでもなく近くにいっぱい自生していた
5/18(月)白扁豆を水侵して冷蔵庫に入れる
       一晩は完全水侵。2日めはひたひた程度に
5/19(火)ウドをもらう
     先週、クコの苗を入手したが定植場所が定まらず
         乾燥してきてあせる
     しょうがは柿の木の根元に入れるつもりで
         まず堆肥を入れる
     つるむらさき 5株
     青シソ 5株(種まき断念) 購入
5/20(水) いちごもらう
      つるむらさき・青シソ・しょうが定植
      かぶ間引き
      へちまの手が太すぎたので補助的に細い手をそえる
         つるモノの誘引は難しい 結構、気難しいものだ
      オクラの苗は間延びして状態悪し
      かぼちゃの芽は2本+もう1本のんびり出てきて計4本
5/21(木) かぼちゃポットまき苗を畑に定植したら
       速攻で「レース」にされた・・・どこのどいつだ、食ったのは!!!
                アスパラの芽がひょろひょろ出てきた
      白扁豆をポットにまく
      たまねぎは小さいがまあまあ玉になっている
      いもつる定植
      別の土手でノビル発見
      「弓の木」で孟宗竹を伐採させてもらう
5/26(火) ホームセンターで夕方買い物 N氏とばったり会いお互いびっくり
      竹割りと弁当箱リサイクルの板の塗料塗り
5/27(水) 朝から張り切って下草かきしたら
        エンドウの苗を1本切ってしまった・・・涙
5/28(木) 白扁豆の発芽確認 でも2/15個とは・・・発芽率表示???
      木の名前の名札を作ってぶら下げる
               長年使用していた草打ち鎌ついに折れる
               手にするのに欲しかった竹を貰うが
        被ったといえば被ったし、切り出し作業が楽しいのだが・・・・
      
        

2009年4月22日水曜日

2009年4月の畑記録

4/10(金) 草料理を少し試みる・・・カラスノエンドウなど
                      ↑はゆでるとなんとなくピーナッツの風味がする
                      なのでゆでて砕いたピーナッツ和えなんかにしてみた
4/11(土) アスパラガスの芽を確認
4/15(水) 種まき・・・春菊・カブなど
4/18(土) じゃがいも発芽確認(きたあかり)・・・植えつけた日の記録不明
      里芋植え付け・・・Mばあ様の芋と購入したもの
      赤・青シソ種まき・・・結局これは発芽せず後日まき直した
4/22(水) カブの双葉確認
      かぼちゃの種 ポットまき+直まき
      みょうがは畑に入れるのを断念。植え付け場所定まらず

2009年3月30日月曜日

2009年3月の畑記録

3/14(土) 畑を少し片付ける くん炭まき
      ブロッコリー放置して花芯が割れるが(脇芽だけが伸びる)食べられる
      水辺できのこ発見

3/19(木) 引き続き畑の片付け 畝の上で木を燃やしてみる

3/26(木) 畑全体をひっくり返す

3/30(月) 大汗をかきながら畝にでかい穴を掘ってアスパラガスの根を植えたが
      親切な方が気を効かして畝を耕転。根、消失。植えた、という目印が必要。
      ナメコこま200ヶ打ち込む→後日、500ヶ追加・・・結局、乾燥させてしまい全滅・・・
        ようやく穴あけドリルの使い方を覚える

2009年2月28日土曜日

2009年2月の畑記録

2/17(火) ミンサー購入
2/18(水) 黒豆味噌しこみ
2/19(木) ねぎ、人参の片付け
      鍬の手入れを怠りさびている