2010年2月25日木曜日

たんぽぽが咲きました



昨日からどんどん気温が上がってきました。
いろいろな花が咲き始めました。







本日はとても風が強いです。
畑のあちこちを耕転します。


エンドウの苗が1/3ほどへたってしまいました。
生き残った苗を移動、定植しますが
この時期にこんなことしていいのかな?

片付け、水遣り、耕転を続けます。
どこに何を植えていくのかも
考えなくてはなりません。

2010年2月23日火曜日

「融通さん」は融通が効く!?

信貴山・朝護孫子寺。
聖徳太子ゆかりの古刹です。
何年か前、山歩きの一環として行こうとしたのですが
何回も道に迷ってたどり着けなかった私のいわくつきの寺。
今回は一点集中型で狙いを定めて初参拝に成功!!
って・・・素直に電車とかバスで来れば簡単なのですがね。

大和国信貴山は毘沙門天王が日本で

最初に御出現になった根本霊場です。
今から千四百年前聖徳太子が
この地において仏敵物部守屋討伐を
祈願されたおり虎をお供にされた
毘沙門天王が出現され戦勝の秘法を
授けられました。奇しくも
その日が寅の年・寅の日・寅の刻でありました。
そこで太子はこの山を「信ずべき、貴ぶべき山」として信貴山と
名づけられ自ら毘沙門天王の尊像を彫み守護神として
お祀りになりました        (境内の説明文より抜粋)

神道と仏教の戦いの原点。
・・・・しかして・・・本堂には鈴と銅鑼が仲良く並んでぶら下がっている。
だいたい毘沙門天とか・・・天とか呼ばれる方々は
大部分がヒンズー教の神様が転化したもので
ヒンズー的には仏陀はヴィシュヌ神の化身の一つで
それ以外には土着信仰とかいろいろなものが混在して・・・
難しいですね。

でもパワースポットに行くとはしゃぐ私。
むらむらとおみくじを引きたくなり・・・ば、ばかぁぁぁ!私のばか!
またまたまたまた神様に怒られて凶を握らされます。
それは分かりきっているのですが何かをしたい。
そう思ってきょろきょろしていると
「何ですかいな、これは・・・?」
ひょうたんがずらり!ここは秀吉くんも関係が!?ではなさそうで「融通さん」なる神様との契約形式らしいのです。「融通さん」は家庭円満、商売繁盛、諸願成就などいかなる願いでも「融通をきかせて」叶えてくださる神様だそうで・・・おおっ!万能の神だっっ!!ここにおわしましたか!願いをひょうたんに書いて自宅に持ち帰り神棚もしくは東の方向に祀る。願いが叶えばひょうたんを持って再参拝。お返しの札をつけてひょうたんを納める・・・と言う形式です。
まあなあ・・・願いが叶わなかった人は二度と来ないし
叶わなかったとしても「祀り方が駄目だから」とか言われたらそれまでだし。
かなりのマッチポンプ的よか商・・・・あわわわわ。
おみくじを引く事かなわぬ私はひょうたんを求めます。
かなりタルそうに仕事をしている売店のばば様が
かなり投げやりな説明をしてくれました。
ひょうたんがかわいいのでそれを差し引いてもわくわくの私。
さて、なにを願いましょう。
今年は釣りも再開する予定なので「大漁祈願」でしょうか。
それとも基本の「家庭円満」でしょうか。
あれこれ思い悩む私に家人がとんでもない言葉を投げつけます。
「あんたが書きたいのは"波乱万丈"だろ?」
うっっ・・・・
そんな気分も若い時にはありましたが今はとてもとても。
平穏無事・・・・と書きかける私に畳み掛ける家人。
「そして"天下布武"だな」
うぐっっっ・・・・なぜ私の秘めたる野望を・・・・
違うって。
でも、そこまで言われたら書かざるを得ません。
なにせ「融通さん」
言ったモン勝ち書いたモン勝ちの気配が・・・
「波乱万丈」「天下布武」って書いちゃったよ本当に。
ひょうたんの上のくびれの部分が余りました。
「もう一つぐらい四文字熟語が書けるけれども」
「波乱万丈」「天下布武」にも負けない神をも畏れぬ願いを書くべきでは
・・・・としばし熟考・・・・
「不老不死!!!」
叫んで書いた私にややおちょくり気味だった家人も唖然呆然。
融通はん、頼みましたえー!!
願いに上限なし、枠組みなし。
バベルの塔より高い私の願望の前では
「天下布武」なんて小さい小さい!

しかして・・・帰ってよく見たら
私、「不老不死」ではなくて
「不老長寿」って書いてやんの。
「不死」ははなからあきらめてやんの。
しかも「天下布武」の字も間違っているし。
本音では奥ゆかしいモンです。


←で、このひょうたん
しばらくしたら「不老長寿」を「不老不死」に書き改めて
「融通さん」に納めに行こうと思います。
ちゃんと見てくれる人がいたら悩むだろうな・・・・
「がっ願望が叶ったから納められているのか
このひょうたんはっっっ!!」
とびびってくれないかな。
まあ、気がついても貰えず
見ても悪ふざけと見破られるでしょうが。

でもちょっとそんな悪戯をしてみたい。
不老不死がかなわぬ生き物の形だけの挑戦なのだが
枠組みをこしらえた神に何かを言ってみたい。

・・・・そんな気持ちがあるから「引けば凶」なんですなぁ・・・・・



「よかれと思って」は仇

本日の往診は件数こそ少ないが新規が加わってかなりヘビー。
外来に来れなくなる→家人が薬だけ取りに来る
のパターンに陥った人には出張、と言うわけ。
介護保険のからみもあるしコンサルタントの側面が強くなる。
もっとも、医療のそして医師の本質はコンサルタント業だと思っているが。
投薬の手術の技術的な面ももちろん大切だが
大前提として「送り手」「受け手」の同意・合意がないと
いくら最先端・最高の技術を施してもそれはおせっかいに終わる。
今の世の中、患者も医者も情報過多で
何か余計な処で力を消耗している気がしてならない。

今日のテーマは「よかれと思って」
元来の性格に痴呆も加わって入院させれば暴力を振るうわ
思い通りにならないと当り散らして支援を拒否るわ
家族もよりつかないわで難儀しているじい様がいる。
要するにだだっ子の延長なのだが70をとうに超えてだだっ子では困る。
困るが仕事として関わる者はかかわらざるを得ない。
予想はしていたが往診も「あれもいらんこれも気に食わない」で拒否。
「薬もいらん」と怒鳴り散らすし、服薬管理もままならないため撤退。
担当のケアマネさんが自分も怒りながらも熱心に調整はしてくれているのだが。
このケアマネさんは本当に粘り強く熱心にしてくれるので
わたしも可能な限り調整には応じる。
それはいいのだが、このケアマネ氏、ぽろりと
「よかれと思ってやっているのに」全部拒否られる、と口走る。
うーん・・・
こっちの「よかれ」と相手の「よい」が一致する事ばかりではないのだけれどもなぁ・・・
熱心に仕事をするあまり相手のペースに飲み込まれている感じ。
相手がある一定以上の理解力を持って同意する方向をむかないと
こっちの「好意」もかえって仇になる。

本日は同様のパターンが3件発生する。
もう1件は病院職員の家族との問題。
もう1件は私用の出来事なのだが
途中でメールががんがん錯綜するので無視できず。
共通するのは「よかれと思って」
立場・状況としては全部違うのだが
こんな話が同じ日に起こるのはかなり珍しいな、と思う。

「よかれと思って」何かをする時のヒトの心理とは何だろう。
善意が行動の発端である事は間違いない。
それが仕事でも善意がなければ始まらないだろう。
しかしてその「善意」にはどうしても「我」が入る。
送り手も人間だから「よい事をしてあげたのだから感謝して欲しい」と思う。
意識・無意識はともかく何%かは絶対「みかえり」を期待する。
期待するのが当然だとも言う。
聖人・聖女ではないから、普通の我々は。
そこを押し返されると「ハラがたつ」
始めは「仕事だから」「親だから」「大切な友達だから」と理性で我慢するが
どこかで限界を超えるとヒートアップ。
そうなると自我と自我の押し合いになって、これは絶対に解決しない。

職員が私の部屋に来て親の相談を延々とした挙句(相談はかまわないのだが)
「よかれと思って・・・」と口走るので
「そこが邪魔!」と釘を刺す。
「あなたが"よかれ"と言う思いを抱きながら接しているうちは解決できない。
お互いの"よい"内容が違うのだから。
親といえどもそこは割り切って"よかれ"を捨てて付き合わない限り無理」
はっきりとそう言う。
そうですね・・・と言いつつも「仕事だと割り切れるけれども親だと・・・」とも言う。
その心情は分かるが、だからかえって厄介なのだ。
その親さんは疾病の後遺症がストレスになっているので
扱いが更に難しい。
外では普通の顔をして家庭内でいらつく=家族への甘えの下手な表現の
パターンにはまって抜けられない。
実はその親さんが発症した時、気がついた私が院長命令を無視して
強引に専門病院に転院させて、生きて家に帰る事が出来た経歴がある。
しかし、後遺症の出方がやや複雑だったこともあり
新たな問題を抱える事になってしまった。
・・・こんな事ならば見逃して重症化、落命させた方が
本人も家族も苦しまなかったのではないか・・・・
これは私の「よかれと思って」が結果、仇になった形。
少なくとも意識して見返りや感謝を期待したわけではない。
仕事として当然の事を推し進めたつもりなのだが複雑な思いである。
「よかれと思って」が葛藤となり
「命を救う」が新たな苦しみの火種となる。

平穏に生きるというのは実に難しい。

西表島の馬

東京在住の知り合いが年末、沖縄方面に旅行されて
西表島で撮ったウマの写真をアップします。

なかなかいいお顔立。南国のウマなので毛が短いですね。冬なのですが。西表島 大富 集落で撮影


上原集落で撮影
広大な土地にぽつんと一頭。のびのびのほほんいい感じ。

在来種なのかな?在来種だとしてもどういう系統なのかな?
大陸から渡ってきたウマが本土にそして島に分布した歴史は
長くて複雑です。

追記:撮影者に尋ねたところ
西表島にはもともとの馬は居なくて
この馬たちは「与那国馬」だそうです。
大富と上原集落はバスで行くと50分もかかるそうで
写真の2頭はまるで関係無し。
在来の馬を放牧して飼っている文化が
まだあるのですね・・・・






2010年2月21日日曜日

近鉄・恩智駅より信貴山・朝護孫子寺

まったくもって歩きをサボっておりました。
体調不良だから歩けないのかそれを理由に歩かないのか。
とほほの状態で標高437m信貴山を目指します。
登れるのか、私!!?

近鉄大阪線・恩智駅から駅前商店街を抜けてすぐ左折。
まずは恩智神社を目指します。
駅前から直線の登りなのですが
「もう・・・ばてた・・・」
情けなや。

恩智神社の神様の使いは竜とウサギさんだそうです。
境内のあちこちにウサギさんの像があります。
そこから山道に入るのですが、入ってすぐの処に立て札が・・・・


「イノブタ!!?」
山で「イノシシに注意」の看板はよく見るのですが
「イノブタ、と限定していると言う事は・・・イノブタなんでしょうなぁ・・・」
「イノブタの養殖場でもあるのかな?」
「逃げたブタがイノシシと交雑??」
どうなのでしょうか。
とにかくイノブタでもイノシシでも出会ったらやっかいなのでそそくさと急ぎます。

道はつづら坂でピッチは長いのですが結構な傾斜。
しかも、航空路線と自衛隊路線の真下に当たるらしく
上空からの騒音でやかましいやかましい。
息は切れる、騒音で聴覚は幻惑される。
「もっ、もうだめだ・・・高山病だ・・・」
本気で緑の光が眼底にちらつく私。
かつてはアルプス2800m級縦走もした私が←過去の栄光
400m程度で倒れる寸前。
不摂生は怖いですね。

高安山霊園付近で道が緩やかになりました。
どうもこの辺が峠になっていてここから恩智方向が「恩智越」となっています。
高安山分岐をやり過ごして「信貴山のどか村」到着。
ここは大規模な農業公園のようです。
楽しそうなのですが今日は入園する時間がありません。
入り口前の売店でいもあん饅頭と炊いたこんにゃくを買いました。各100円。
お饅頭もおいしいのですが、このこんにゃくの味の沁み方が絶品!!
充電完了で再び歩き始めます。

大きなため池を右手に見ながら三郷町の集落に降りていきます。
分岐がちょっとややこしいので注意が必要です。
やがて自動車道に行き当たり、信貴山朝護孫子寺到着です。
この有名な寺には何回か来ようとして
その度、なぜか道を間違えてたどり着けなかったという
私なりのいわく因縁ががあります。
初参拝です。

「開運橋」を渡って境内に入ります。
いろいろなお堂、お社、お店があります。
右手写真は「千体地蔵」
この近くにもカフェやお饅頭やさんが
並んでいます。

大和国信貴山は毘沙門天王が日本で
最初に御出現になった根本霊場です。
今から千四百年前聖徳太子が
この地において仏敵物部守屋討伐を
祈願されたおり虎をお供にされた
毘沙門天王が出現され戦勝の秘法を
授けられました。奇しくも
その日が寅の年・寅の日・寅の刻でありました。
そこで太子はこの山を「信ずべき、貴ぶべき山」として信貴山と
名づけられ自ら毘沙門天王の尊像を彫み守護神として
お祀りになりました        (境内の説明文より抜粋)

本堂などをお参りした後、「空鉢護法堂」まで登ります。
これが結構な階段坂。
でも大勢の方が水をくみ上げる業をしてらっしゃいます。
ひーひー言いながら登ると途中の信貴山城跡に出ました。
戦国のしたたかな武将・松永久秀終焉の地です。
山道をつたって高安山へ抜けようと考えていたのですか
ここで家人の方がばてました。
「はらへった・・・・途中で行き倒れる・・・・」
それもかなわんので撤退。
奈良側に降りる事にします。

信貴山下から山頂まではかつてケーブルがありました。
1922年(大正11年)開業の東信貴鋼索線です。
1.7kmを10分あまりでむすび
参詣客の足として栄えましたが
1983年(昭和58年)営業廃止したそうです。
その廃線後がまっすぐの下り坂となって残っています。

下るのも結構難儀な坂ですから
これを登ってくる人はすごいですよ・・・
本当にまっすぐ。ケーブル跡なのだから当然ですが。
ケーブル跡を過ぎると高校があります。
「この高校の部活って・・・」
「体育会系は絶対・・・やらされているよなぁ・・・」
地獄のケーブル跡100本ダッシュ!!とかうさぎ跳び!!とか
そんな気がすごくするんですけれども。


 
高校を過ぎるとニュータウンの中を
またまたまたまたまっすぐな道。
「"まっすぐなみちでつまらん"」と山頭火風にぼやきます。

 そのぼやきを吹き飛ばしてくれるものが駅前にありました!!
「フリースタイル!!?」
「鍼灸でフリー!!?」
「経絡無視でフリーってことぉ!?」
「いや自由で斬新な型の指圧かっっ!!?」
・・・すみません・・・されている方は絶対まじめにされているとは思うのですが
「鍼灸指圧」と「フリースタイル」の言葉のギャップが・・・
秘孔直撃。正にツボにはまりました・・・・

寺などを含めて歩行時間約5時間。
あれもこれもと欲張りな山行でした。
軟弱ではありますがこういう歩きもいいかもです。





2010年2月18日木曜日

春の準備

まだまだ寒い上に風邪をこじらせぜーはーの毎日。
しかして春は確実に近づいています。
日差しが強まり地面の緑が少しずつ濃くなってきています。

本日は無人精米所から米ぬかを大量に頂戴して
堆肥の切り返しを行いました。
うーん・・・発酵菌はちらほらついていますが
材料が草だの軸なので
分解は超スローですね・・・・
米ぬかを混ぜ込みながら
上下を入れ替えます。

エンドウの苗の調子が悪くて心配。
勢いがまるでなし。

みずなは今になって伸びて来てくれました。

霙まじりの雨が降ってきました。撤収。

2010年2月15日月曜日

嘘も方便とは言うけれども

いきなり注意を受けて「車を動かせ!」と言われる。
何の事か分からないので確認。
起こした事に関しては私が悪かったのだが
実害が生じたわけではなし第一、注意の内容がとんちんかん。
それを抗議しに行ったら
「そんな事は言っていない!」
って・・・・5分前に自分で言った言葉を忘れて開き直り?
多分、大人しく黙っていると思った相手だからケチをつけて
その相手が抗議に押しかけたから慌てたんだとは思うのだけれども。
本当に忘れたたのか?ならばそれは健忘・痴呆ですね。病院か施設にどうぞ。
保身のための嘘なのか?
それとも自分の中では真実なのか?

今回は仕事以外の処でやられたけれども
もちろん仕事の場でもやられる事はある。
多分「大人しい」「優しい」から「弱い」「反論・抵抗しないだろう」と
決め付けてなめて調子に乗って突っかかってくる。
私も昔よりはかなり堪忍袋の容量が大きくなったので
ぐっと堪える・・・でも容量には限界がありますよ。
そこで意図的に堪忍袋の緒を切ると
「そんな人だとは思わなかった・・・・」と批判。
勝手な人たちだな、自分の判断違いを棚に上げて。

更にはこっちが攻勢に打って出ると
平気で嘘をついて逃げる人がいる。
確実にいる。
多分、嘘をついている意識はもう無いのだろう。
処世術として身に染み込んでいるのだから。
人としてみじめだとは思うが本人は自信満々だったり特に意識はしていなかったり。
これを経営者や上司、同僚にやられるときつい。
死にかけの患者を前にもっともらしい事をもっともらしい顔付で言って
逃げる医者に何人にも会った。

個人的なキャラからそういう力の勾配がかかってしまう事もある。
更には年齢、職業、性別の違いからも擦り付け合いが起こる。

弱者に責めを負わせて生き残るのが強者なのか?
それは本当の強さなのか?

そうは言っても威圧的・脅迫的にやっておかないと
つけあがって全てを擦り付けてくる「弱者」も確かにいる。
弱い立場を逆手にとっての思考停止・責任回避が人生の全て。
「怖いヒト」のふりをするのも難しい。

懐を深く、堪忍袋の容量を大きく育てていきたいとは思うが
それをやればやっただけ
そこに投げ込まれるモノがどんどん増える。
処理能力がまだまだ低いのだと思いそのつど反省するのだが
本当に反省が必要なのはどっちだよ、と思う事もしばしば。
声が大きいモン勝ち、言ったが勝ちの世の中には疲れる。

2010年2月14日日曜日

野菜がいっぱい

昨晩、宅配が届けてくれた荷物には・・・・
野菜がいっぱい!!!

←これはほんの一部です。

ありがたいのですがありがたいのですが
い・・・・いっぱい・・・・


せっせと煮〆やらこうじ漬けに変換させます。
白菜もたんまりあるのであさ漬けにしてみようかと。
やった事、ないけれども。
ザウアークラウトと基本、同じかな?
昆布や醤油が入るか入らないかくらいの違いで。

不況のなんのでご飯が食べられないとか住む家もないとかの世の中で
ああ、なんと贅沢な・・・・感謝。
本当に感謝しているのですが感謝しているだけでは野菜はしなびるし減りません。
加工、保存に励みます。

「百姓貴族」と言う漫画を読みました。
これは北海道の酪農農家を舞台にしたもので
さらに規模が大きくさらに過酷な物語なのですが
「物質の偏り」には共感して笑ってしまいます。


「貰うだけでもいっぱいなのになんで自分で作りにかかっているんだ??」
と思われますよね・・・
うーん・・・
理由はいろいろありますが、まず、受身の態勢一方では不安、と言う点が大きいですかね。

チンゲン菜は結構、てこずります。
油抜き食卓なので中国野菜は扱いに苦戦。
知り合いの農家さんでは鍋に入れているそう。
「これで減るわ!」
と、自分のアイディアにうっとりしていたら・・・・
旦那さんとお子さんは葉っぱの柔らかい処だけを食べてしまった。
・・・・残りの鍋の中にはチンゲン菜の芯だけがプカプカ・・・・
「今度はどうやってあの芯を食べさせるかよ!」
どちらのお宅でもなかなかご苦労されている様子。

2010年2月13日土曜日

宇高航路廃止!!

100年の歴史に幕

ブルトレ同様、フェリーも絶滅危惧種なのは分かりきったことですが
遂に・・・・

今更あわてて利用を考えるのもナンなのですが
乗りたいと思いつつ機会を逃していた路線なので
スケジュール調整に入ります。

合理化には勝てないよなぁ・・・・溜息。

2010年2月12日金曜日

生きている?

B施設は最近、平穏無事・・・
と、思っていたら昼前に慌てた様子の電話が・・・
「××さんのN-Gチューブが詰まりました!」
流動食を注入するのに鼻孔から胃へ留置している管ね。
まあ・・・そろそろ交換時ではあったので繰り上げて交換しても・・・
「じゃあ、○○さんも一緒にお願いしていいですか!?」
いいですよ・・・施設の送迎の御都合にあわせてどうぞ・・・・

昼の注入が出来なくなったのであわててかっ飛んできた。
交換自体は大した手技ではない。
ただ、一応、レントゲンで管の先端確認をしなくてはいけないなど
終了までそれなりの時間がかかる。
昼休みにかかってしまったので手薄。
はっきりとは言わないが休憩時間を施設の高齢者にとられたくない
と態度に出す看護師だっている。
やりにくいなぁ・・・・

処置終了、確認OKで送り出す。
遠ざかる送迎車を見送りながら改めて疑問が・・・
「あれっ?あの二人、なんでN-Gチューブなんて入っているんだ?」
私が赴任する遥か以前から注入を続けている人たちで
私はその辺の経緯を知らない。
脳梗塞後遺症なんかで食物を飲み込めない→N-Gチューブか
胃ろうから栄養剤を注入して生命を維持するしかない
そのへんの流れなのは間違いないが・・・

他の施設や病院でもよくこんな問題に行き当たる。
精神・人格は荒廃し、眠り続けるかうめき続けるか。
どう予防策をとっても繰り返す皮膚トラブルと
進行する関節の拘縮。
面会に来る家族はいないか、来ても
孫の写真なんかを周りの壁に貼って励ましたつもりでそそくさと帰る。
生きている?
これって生きていると言うのだろうか?

人口呼吸器と同じで
注入食管理もいったん導入してしまえばはずす事が出来なくなる。
はずせば「餓死」するからだ。

「体が温かくて心臓が動いていればそれでいい」
そう言い切る家族もいる。
器械に囲まれ管だらけになってもいいんだそうだ。
「一秒でも一日でも長く"生かす"のが家族の努めだし医者の仕事だ」
昔、そんな風に言われた事もある。

家庭、施設、病院。
それぞれの立場がありその時の状況がある。
だから一概に決める事は出来ないが
「その人の人生の質」を配慮しないで
機械化した環境を与え空虚な延命行為を続ける事に
もう少しは懐疑的になってもいいんじゃないかとよく思う。
そして「死んだ」のに「殺された」と文句をつける家族は
普段、ろくに見舞いにも、ましてや看護・介護にタッチしない
立場の人が多いのも事実だ・・・・

「死ぬ」前にちゃんと「生きて」きたのか?
他人にあれこれ言う前に自分がちゃんと「生きて」いる自信と確信があるか?

それが大切ではないんだろうか。

2010年2月11日木曜日

本日はおさぼり

強い雨・・・
昼くらいにいったん落ち着くかと思ったのですが
天気予報は正しいですね・・・

畑も馬もおさぼり。

猫と布団でごろごろです。

2010年2月9日火曜日

やりますねぇ・・・・

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100209k0000e040069000c.html
この理事長はもちろんスゴイ悪人だが
ここまでやっていたとはちょっとやはりスゴイ。

でも、はっきり言って、こういう構図(トップが下に強要して自分は逃げる)は
どこにでもある。
医療以外の分野でももちろんあるでしょう。
巻き込まれないように、押し付けられないように気をつけましょう。

また、この理事長は「生保囲い」をやっていたわけですが
他にも「高齢者囲い」「精神疾患囲い」「障害者囲い」等々・・・・
これまた同じ構図は蔓延している、と言うか普遍的なので
自分がそういう構図にはめられて搾取されていないか
よくよくチェックする必要がありますよね・・・疾病に限らず。

「理事長」で思い出したこと。
某病院であくどいゴリ押し理事長に会った事がある。
診療の内容にまで事細かくあれこれ指示してくる。
なので、てっきり医者だと思っていたら・・・・
「理事長?あ、あれ、元・医者」
「元・医者」ってなんだ!!?
と尋ねたら
「医師免許取り上げられたらしい」
・・・・って、どんだけ悪い事、しでかしたんだ!!?
かなり悪い事やっても「停止」くらいなのでは・・・・?
それ以上は怖くて確かめられなかったけれども・・・
そこはバイトだったし、あまりにあまりなので強引に辞めた。
よかった、と今でも思っている。
まあ、他の処も似たりよったりではありますがね・・・・

2010年2月8日月曜日

やっぱり詐欺だっ!

同じウマでもなぜ走りが違うのか・・・・?

ウマでもネコでもイヌでも同じです。
ヒトがいわゆる「動物」の前に立った瞬間、
相手はこっちの全てを把握してしまうのです。
ウマ「あっ、こいつってこんな程度だっしぃぃぃ・・・」
とか。
本当に、立った瞬間、判られてしまう。
でも、それって生き物のの根源的能力であって
向こうが判る前にヒトが判らなくてはいけないんですよねぇ。
ヒトの「生きる」能力は社会生活の中で鈍っているだけですし。

で。
ちょっと、特別レッスンを受けました。
とは言っても「特別」な事は何もない、当たり前の内容なのです。
ひたすら「ウマの邪魔をしない」に徹する。
これは弓道でも言われた事です。
「矢は的に当たりたがっている。邪魔するのは人間」
で・・・・ハミの意味とか手の使い方とか・・・
当たり前の事を当たり前にしたら
「うぉぉぉぉ!!!M号がひゅんひゅん走るってかぁぁぁぁ!!!!」
快速&理不尽。
ドイツ仕込みのM指導員先生に感謝。
ドイツは・・・東洋に通じるコンセプトがあるような気が以前からしていましたが。
しかて。
自分ひとりではこれが再現できないんだよな・・・・・

2010年2月7日日曜日

根幹は多分みな同じ

馬場と障害。
どちらも単独では進められない事がようやく最近、分かってきました。
と言うか馬場の基礎が出来ていないと障害やっていてもどこかで無理が来るでしょう。
両立。
はあ・・・またまた両立させないといけない項目がふえたぁ・・・
そもそもは外乗したいだけでウマに近づいたのになぁ・・・
もっと最初のきっかけはクラブ併設の貸農園を見に行っただけだったのに・・・
迷路です。

さて、両立しなければならないのならば1日のうちで馬場・障害の2鞍取りしかありません。
まあ、障害と言っても最初は横木通過なのでさほどこたえないでしょう。
と思ってレッスンを取ってみたところ
「・・・配馬があんまりだぁ・・・・」
馬場は動かない&跳ねまくるR号。
障害はサスペンション固ったいE号・・・第一、E号って障害馬か??
初めから試練です。

馬場はしんがり務めなので様子見しながら進みます。
真ん中のT号がいやいやモードに入ってしまったのでR号もお付き合い
・・・しちゃぁいけないんですがね。
T号、次の枠でベテランさんが乗った途端、きりきりぴゅんぴゅん走り出す。
・・・詐欺みたいなもんだよなぁ・・・・

さて、障害。
ベテランの奥様には「E号で障害?やるの!?あはははは!」
と豪快に笑われ
指導員には
「E号で障害やっているの見たことないですよ・・・」
と言われ。
しかも、実はかなり以前だがE号で横木通過やらせてもらって
跳ねて落ちた前歴がある・・・告白はしないでレッスン始めちゃお。
鐙革の長さ調節と姿勢の話から。
「ツーポイントって無理ですから!」と端からばっさりのY指導員。
(ツーポイント≒モンキー乗り)
「あれってよほど若い人が相当やったら出来るかもしれないけれど普通、無理!」
競馬の騎手がやっている「膝・足首」2点で固定している乗り方だよね。
2009年7月に亡くなった騎手・調教師の保田隆芳氏が1958年に
アメリカで習得して日本に移植したとは聞いている。
「それ、アメリカ型。最近は欧州ではああいう乗り方はしない」
あれっ・・・先日、別の牧場の親方から同じ事を聞いたぞ。
「その最近のスタイルって膝を締めない?」
と尋ねるとそうそう、と言って私の脚の向きを指導してくれる。
ふくらはぎを馬体に沿わしてつま先は内で・・・・
おやおやっ・・・脚の型は和式と言われるやり方に通ずるのかも??

とにかくスタート。
後で聞くとE号昔々は低い障害はこなしていたとの事。
初めの1・2回は横木ごときで拒否られていたが
手綱の位置とかを調整しているうちに
E号「あ、これこれ。思い出した・・・」
と言った感じで跨いでくれた。
それにしても体の固さはクラブ1・2を争うE号。かなり苦しい。
手前を変えながらなんとか軽速歩での横木通過成功。
本日初日だし、ここまでで上出来だわ、と思っていたら
「はい、駆歩!」
・・・Y指導員先生、イケイケなんです・・・

「ただのバーだから!跳んではいないんだから!意識しない!!」
そうですそうですちっとも上にはむかっていないのですから
輪乗の途中に棒が落ちているだけと思ってぐるぐるぐるぐる・・・
それにしてもE号よ、何もない(筈の)処で横っ飛びはやめようね・・・
なんとか落馬せずに終了。

障害を早くから始めている人とか得意な人は
「ツーポイント」にこだわるのかな?
指導にもよるのだろうけれど。
「ツーポイント!ツーポイント!」と叫ぶ人が多い気もする。
でも、それも時代の流れで変遷してしまうのならば
どうしたらいいんでしょうね?
「(保田隆芳氏がアメリカから持ち込んだ騎乗スタイルの)お陰で
日本の騎乗技術は10年進歩した」と名馬シンザンを育てた
武田文吾調教師は語ったそうです。
その保田氏のスタイルは今後、評価が変わるのでしょうか?
逆に、保田氏以前の騎手はどういうスタイルで乗っていたのか?
自分の騎乗姿勢が固まらないうちにあれこれ考えだけは巡ります。

西洋式、東洋式。馬場、障害、外乗。
いろいろあります。
道具も違えば重心の位置だって全部違う。
馬に対する考え方、要求するものも全部異なるから歴史も違う。
それでも指導を聞いているとどこかに根幹的な
共通事項があるような気もします。
当たり前の話ですが馬の動きが、スタイルが云々の前に
自分の体、特に体幹部の安定が第一義であり全てなのかもしれません。

2010年2月4日木曜日

立春過ぎて

日差しがやや長く強くなってきました。
久しぶりに畑をまじめにやる事にします・・・・ちょっとだけ・・・・

毎年、里芋とその軸(茎・ずいき)をくれていた婆さまが
昨年の暮れに死んでしまいました。
形見の里芋・・・・
「炊いて食べろ」と言われていますが踏ん切りがつきません。
本当は親芋にはならないのでしょうが
発芽しない事もないので春になったら植えつける予定です。
その下準備。

畑のあちこちを片付けてほっくり返しました。
寒いうちに土をひっくり返しておく「天地返し」のつもりです。
・・・・いささか遅いかなぁ・・・・まだの処もあるけれど・・・・
水に近い処には手をつけられないまま
2年分くらい積み重なった草やら根っこが溜まっています。
それをひっくり返して移動。
発酵鶏糞と重ねて堆肥化を目指します。
米ぬかも混ぜたかったのですが近くの精米所の米ぬか本日なし。
後日、追加することにします。

そんなこんなをしていると鳥が近づいてきました。



あまり人を怖がりませんね。結構、近づいてきます。
2羽でいるのでデートの最中なのでしょう。
セキレイも来ました。
こちらはひっくり返した畝を歩いています。
小さな虫が出てきて、それを食べているのでしょうか。




放置していた草やら根っこは下の方は結構イイ感じの腐葉土になっていました。
シートを被せて発酵を期待します。

本日は溝の泥上げもしたのでかなりこたえました・・・
鍬やジョレンを使う時の
腰や両手の押し引きはいわゆる「武道」に通ずる部分があると思っています。
と、言うか、昔のお侍さんもよほどの上級武士でもない限り
畑を耕さないとやっていられなかったんですよね。
「武」だけを尊び「農」を卑下する概念をいまだに継承する人たちがいるのは残念です。

秋田で伝統の奇祭「掛魚まつり」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100204-00000084-san-soci

日本の「奇祭」にもいろいろありますが
タラを掲げて練り歩くとは面白いですね。
大漁祈願の素朴な信仰心で始まり続けられているとは思いますが
15kgのタラは・・・担ぐほうがちょっとかわいそうです。

2010年2月1日月曜日

何の目的?

入院患者から高濃度インスリン

インスリンで云々・・・の見出しで
「また・・・旦那にインスリン打って殺そうとしたのかしら」
と思い開けてびっくり。
90歳代、しかも入院中。
入院中の点滴内に混入とは念が入っています。
よほど恨みがあるのか財産が早く欲しい人がいるのか?
それとも愉快犯だったら・・・・それが一番コワイですよね。